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ペシャワール会/PMSのあゆみ

PMS およびペシャワール会/PMSの出来事

1978年(昭和53年)

中村哲医師 福岡登高会のティリチミール遠征隊同行医師としてパキスタンに初入国
1982年(昭和57年)

4月 パキスタン・ペシャワール・ミッション病院よりJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)に医師の派遣要請
1983年(昭和58年)

4月 JOCS、中村医師の派遣決定
9月 ペシャワール会発会式、初代会長に問田直幹氏(故人 当時九州大学名誉教授)が就任
1984年(昭和59年)

5月 中村医師 パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に着任
1986年(昭和61年)

パキスタン国内のアフガン難民への診療を本格的に開始。
4月 中村医師 足底そくてい穿孔せんこう症(うらきず)予防用のサンダルの工房を病棟内に開く
1987年(昭和62年)

1月 中村医師とアフガン人医療チームによるハンセン病多発地帯のアフガン難民キャンプ(在パキスタン)巡回診療を開始
1988年(昭和63年)

5月 旧ソ連軍アフガニスタンより撤退開始(翌年2月撤退完了)
9月 初めての日本人長期ワーカーとして安部美智子看護師が着任
1989年(昭和64年・平成元年)

1月 JAMS(日本・アフガン医療サービス)発足、アフガニスタンに進出
1990年(平成2年)

9月 藤田千代子看護師が着任(* PMS支援室室長として現在に至る)
1991年(平成3年)

1月 湾岸戦争開始
12月 アフガニスタン国内にも活動範囲を広げ、ナンガラハル州北部のダラエヌールに最初の診療所»を開設。以来、アフガニスタン東部»パキスタン北西部の山岳無医地区に次々と診療所»を開設
1992年(平成4年)

5月 アフガン難民の爆発的な帰還が始まる
12月 ダラエピーチ診療所開設
1993年(平成5年)

ダラエヌール診療所周辺で悪性マラリアが大流行、日本国内で緊急募金を呼びかけ2,000万円以上の寄付が寄せられ治療薬の購入を果たし2万人以上の命が救われる
1994年(平成6年)

4月 ヌーリスタン西部地区のワマ診療所開設
7月 問田初代会長の後任として髙松勇雄副会長が2代目会長就任
10月 ペシャワール・ミッション病院拠点の活動を終了
11月 PLS(ペシャワール・レプロシー・サービス)病院を設立。ペシャワール市内で活動を開始
1996年(平成8年)

9月 タリバン政権樹立
PMS病院
PMS病院
1998年(平成10年)

4月 ペシャワールにパキスタン・アフガニスタン両国での活動の恒久的な拠点となるPMS基地病院開設。JAMSとPLSを併合。PMS(ペシャワール会医療サービス)を発足、医療チームは基地病院からひと月交代で山岳無医村のPMS各診療所で診療活動を行う
2000年(平成12年)

5月 JAMSの名称を廃止、アフガニスタン側事業はPMSが直轄、「PMSアフガン・プロジェクト」と改称
6月 1970年代から悪化の一途を辿る干ばつがアフガニスタン全土で一挙に深刻化。多くの国民が難民化、水不足で赤痢やコレラが急増、PMSでは緊急対策として水源確保事業を医療活動と並行して開始。2008年までに飲料用井戸約1,600本、灌漑用井戸13本、カレーズ(伝統的な地下水路)38ヶ所を再生し、多くの村民の難民化を食い止める
12月 国連安保理タリバンに制裁決議
ソルフロッド郡での食糧配給
ソルフロッド郡での食糧配給
2001年(平成13年)

3月 アフガニスタン首都カーブルに5ヶ所の臨時診療所を設置
9月 米国ニューヨークの世界貿易センタービルに2機の民間航空機が突入、中村医師ほかPMSスタッフが外務省の勧告を受けアフガニスタンより出国、ペシャワールで活動を継続
10月 カーブルで米英軍による大規模空爆が始まる中、アフガニスタンへの食糧配給計画「アフガンいのちの基金」»を発表、ジャララバード、カーブルで食糧配給開始、2002年2月までに15万人に主食の小麦粉と食用油(日本の味噌に相当)を配給。
11月 カルザイ政権樹立
2002年(平成14年)

2月 アフガンいのちの基金をもとに、アフガニスタン東部における長期的農村復興「緑の大地・5ヶ年計画」(農業・農村復興事業)発表、
6月 アフガニスタン・ジャララバードに医療・水源確保・農業のプロジェクトを統括する「PMSジャララバード統合事務所」設立。 * この年、会員が1万名を突破しました
2003年(平成15年)

3月 マルワリード用水路の起工式
  イラク戦争開始
7月 髙松勇雄会長が退任、名誉会長に就任。後藤哲也医師が3代目会長に就任
2007年(平成19年)

4月 マルワリード用水路第1期工事完了と第2期工事の鍬入れ式開催
2008年(平成20年)

1月 マドラサ建設着工
2009年(平成21年)

7月 ペシャワールにある基地病院PMS(ペシャワール会医療サービス)を地元団体に譲渡
8月 マルワリード用水路24,8km最終地点ガンベリ砂漠に通水。試験農場をダラエヌール渓谷からガンベリ砂漠へ移し約180ヘクタール確保、ガンベリ砂漠の農地開拓始まる(現地報告メール"速報!ガンベリ砂漠へ通水!"»記載)
9月 マドラサ開校 約600名の学童通学
2010年(平成22年)

1月 現地事業体名を、ペシャワール会・医療サービスから、平和医療団・日本へ変更(* 略称はPMSのまま)
2月 マルワリード用水路完工式。マドラサ・モスク譲渡式
8月 アフガニスタン・パキスタンで100年に1度規模の大洪水
10月 既存用水路カマ第2の取水門・堰・主幹水路・沈砂池・送水門と排水門新設工事に着工(第1次JICA-PMS共同事業)。ベスード郡(カマ郡対岸)の3,500mの護岸工事に着工(第1次JICA-PMS共同事業)
2011年(平成23年)

3月 カマ第2用水路施設。堰・取水門・主幹水路・沈砂池・送水門と排水門が完成し通水(第1次JICA-PMS共同事業)
4月 モスク・マドラサに併設する寄宿舎完成・譲渡式
7月 べスード第1取水口工事開始(第1次JICA-PMS共同事業)
2012年(平成24年)

4月 ベスード第1取水口、ベスード護岸3,5kmの竣工式(第1次JICA-PMS共同事業)
9月 宿願の用水路24.8km流域の村民を束ね、第1回定例浚渫を実現
10月 カシコート取水施設本工事開始(第2次JICA-PMS共同事業)
2013年(平成25年)

3月 ガンベリ試験農場にオリーブ植樹(アフガン灌漑農業省共同事業)
6月 断続的に記録的な大洪水襲来、アフガニスタン各地で堤の決壊や溢水が起こる。
2014年(平成26年)

4月 ガンベリ試験農場にて畜産を開始
9月 マルワリード・カシコート連続堰竣工(第2次JICA-PMS共同事業)。主幹水路2km、護岸4km完工
10月 ミラーン堰着工(第3次JICA-PMS共同事業)
12月 ガンベリ農場に記念塔完成。PMSガンベリ事務所とし、農業班・灌漑班を置き、開拓事業(農業)=自立体制を本格化させる。ガンベリ砂漠開墾地で栽培したサトウキビで黒砂糖の生産に成功(黒砂糖の復活)
2015年(平成27年)

2月 アフガン東部で季節外れの大洪水カブール河の水位がベスード第1取水門を30cm超える。ジャララバード市内浸水、高地で降雪と雪崩頻発、死者不明者増加
6月 後藤哲也3代目会長が退任、名誉会長に就任。村上優医師が4代目会長に就任
7月 在アフガニスタン日本大使、アフガニスタン中央政府の農業大臣、農村復興開発大臣、国連食糧農業機関(FAO)所長が、PMSガンベリ農場を視察
2016年(平成28年)

2月 ガンベリ砂漠開墾地(PMS農場)約230haの20年貸与契約締結
3月 ガンベリ主幹排水路工事開始対立する各村自治会の協力を獲得
7月 パキスタン政府アフガン難民強制送還の動き(ナンガラハル州への帰還難民約100万~150万人)
9月 ミラーン堰完工(第3次JICA-PMS共同事業)、1,700haの安定灌漑を保障
10月 PMS方式取水システムの広域展開を目指し、人材育成のための訓練所建設を開始(FAO-PMS連携事業)。マルワリードⅡ堰建設開始(第4次JICA-PMS共同事業)。ガンベリ農場にてオレンジの初収穫
2017年(平成29年)

3月 ナツメヤシ464本ガンベリ農場に植樹(日本大使館共同事業)
4月 PMS現地職員(ジアPMS副院長、 ディダール技師、ファヒーム技師)がJICA-PMS共同調査(水利及び農村、社会調査)の研修にて来日、定期的な本邦招聘始まる
11月 訓練所建設完工(FAO-PMS連携事業)
2018年(平成30年)

1月 訓練所で授業を開始(FAO-PMS連携事業)、PMS取水方式の普及計画の第1歩。PMSと中村哲医師がアフガニスタン国ガニ大統領から勲章を授けられる
6月 平成29年度土木学会 技術賞授賞