灌実践の力を学んだ2年間でした
漑用水路担当
鈴木 学
ペシャワール会報83号より
(2005年04月18日)
予想以上の流水と予想通りの漏水
水に浸かりながら通水の陣頭指揮をとる鈴木ワーカ(左から2人目)
3月4日金曜、午前10時。すでに現地の日差しには夏の兆しを強烈に感じる。D地区溜池の排水門を閉めるため腰まで水に浸かったとき、足がちぎれるほど冷たい雪解け水に昨年の取水口工事を思い出した。

あれからちょうど1年、今日は取水口ではなく、約2キロメートル下流の溜池三連水門の堰板がはずされた。取水口から2〜5キロメートル区間、未だクナール川の水が到達していないサランプールの崖に沿って水を通し、崖以降に広がるクズ・クナール一帯の灌漑を可能にする最重要区間の試験通水だ。

水の移動にあわせて移動する人々
前夜から少しずつためられていた池の水が下流に向けてどっと溢れ出す。水の流れにあわせてスタッフ、子供からお年寄り、野次馬を含め皆で移動するが、自分が直接担当した構造物に水が来たときは漏水などの不備がないかどきどきする。水道橋、2カ所の道路横断部暗渠、雨水排水用の暗渠、崖の終着点にあり水路の水を下流のブディアライに向けて配水する小水路の為の分水門と連続する暗渠部など、水が無事に流れ一安心、やはりうれしい。1年の苦労も文字どおり水に流されてゆく。

中村医師曰く、流速・流量とも予想以上の結果で、分水門から下流への配水もうまくいくことが確認され、今後もブディアライに向けて分水路の拡張工事が継続される。分水門から約1キロメートル下流にシェイワ郡一帯を潤すシェイワ水路の取水口がある。このシェイワ水路の取水口よりPMSの水路が20メートルも高い地点を流れていることを考えると、この水路の灌漑能力の大きさに改めて驚かされる。

分水路に流れる水を見守る人々
予想通り、予定通り、F・Gの埋め立て区間では数箇所大きな漏水部が確認され翌日から大掛かりな補強工事が開始された。昨年も埋め立て区間での漏水工事を経験しているため抜本的な改修工事が一番の近道ということは分かっている。
現場責任者のヌールザマンを中心として現在皆この埋め立て区間の補強工事に全力を注いでいる。土と石と木で成るこの水路は生き物で、時間をかけて少しずつ成長していくものだということを我々は学んだ。
根気よく手入れをすれば丈夫ですばらしい水路になることも知っている。

分水路と用水路の分岐地点。 用水路はサイフォンを通って道路の向こう側に続く。別角度からの写真はこちら
通水の日を夢見つづけた2年間
思い起こせば2003年の3月10日、ジャララバードに到着してから、水路での2度の夏と、2度のラマダン(断食月)と、2度の冬の陣を何とか乗り切ったことは僕の大きな自信となった。来てすぐに水路計画が開始され、測量からはじまり、蛇籠・聖牛の生産、水路現場での作業、取水口工事、対岸の護岸工事、コンクリート構造物の建設など、水路に関する多くの仕事に携わることとなった。

人も物も時間も十分でない条件の中、何とかサランプールの崖を水が廻って来ることを夢見て、ない力と知恵を絞る毎日だった。それでも多くのひとの力によって、いま目に見える結果にたどり着けたことは、幸運ではあるかもしれないが必然であったと思う。

灌漑予定地域は家屋の建築ラッシュ
この世界において、人は何かできるのか。という当初抱えていた疑問は少しずつ消えていった。実際に何もない場所に沢山の家が建つのを目にし、数え切れない人々が戻ってきて、毎日彼らと一緒に働いていれば当然かもしれない(水路の水が来るであろう地域は今も家屋の建設ラッシュが続いており、PMSの水路現場では毎日700人以上の地元住民が働く)。そして現実に高い崖を越えて涸れることのない水がくる。

中村医師自身が砂埃をかぶり、冷たい水に浸かりながら現場で作業する姿は、国籍や宗教を超えて人の心に強烈に響く。その姿勢は日本人スタッフ、現地スタッフ、現地の作業員、地域の人々へと理解され広がっていく。この場所でこの人達は本気でやっているんだ、と。
そして2年間の結果、この夏現地の人々に実際に水が送れることは何より大きい。去年立ち枯れた小麦が今年は青々と生長するだろう。去年田畑を覆い尽くしたケシの花は、今年影も形もない。

用水路工事現場の現地作業員と鈴木学ワーカ(右上)
率先した行動こそが事業の推進力
ここは口で、論理で説明しただけで人々が動くほど生易しい場所ではない。結果を出さなければ人々は信用してくれない。言葉ではなくその人の行動を、その結果を信じるのである。逆に言えば正しい結果を見れば人々は協力を惜しまない。自分がこの2年間、水路の現場で経験し学んだ事実だ。

水路の水が現実に人々のものとして活用され始めた今、この水路事業に現地の良い力がはたらき、どんどん良い方向に向かって突き進んでいくことを僕は強く感じている。

日本でPMSを支え下さっている方、常にサポートしてくださった中村先生、藤田さん、橋本さんをはじめとする日本人スタッフの方、ヌールザマンを中心とする現地スタッフ達、僕を勇気づけ、笑わせ、そして多くの感動をくれ、毎日一緒に力を合わせてくれた現地のレイバー(作業員)達にこころから感謝しています。
この素晴らしい2年間をほんとうにありがとうございました。

* 鈴木学さんは2005年3月で現地活動を終了しました。