病も人も文化も、初体験づくしの3年間でした
PMS医師
仲地省吾
ペシャワール会報83号より
(2005年04月18日)
仲地医師の送別会。スタッフ達が3年の労をねぎらった
3年の任期を終了
今年の2月15日付で現地での仕事を終わらせて頂きました。私がペシャワールに赴任したのが2002年の2月13日でしたので、ちょうど丸3年でした。

年を取るにつれて誰もが感じるように3年なんて、本当にあっという間で、ペシャワールに来たのが昨日の様に感じることができます。貴重な体験をさせて頂き、中村医師を始め、ペシャワール会事務局、会員の皆さまに本当にお世話になり、ありがとうございました。改めて御礼を申し上げます。

今の若者と違って私が初めて海外に出かけたのはすでに30代の後半でした。海外といっても私はアジア以外には行ったことはありません。一度国外に出ると、興味が次第に増してくるもので、そんな時、1999年の3月に放映されたNHKスペシャル「癒しのキャラバン果てしなく」をたまたま見ていました。中村医師がパキスタンの奥地(ラシュトよりさらに奥)の無医地区を馬に乗って診療して回るという番組です。
日本にいればまだ医師として高収入が得られるはずなのに、どうしてこの医師はこんな活動をしているのだろう、しかも10年以上にわたってそんな活動をしているという番組の紹介を聞いて、当時私はかなり不思議に思い、とても感心したものです。

その後中村医師の事はすっかり忘れていました。忙しい日常生活の中でも、いつかはアジアのどこかで医療活動をしてみたいという希望を多少なりとも持ち続けていて、そんな時2001年のアメリカのアフガン空爆が始まり、中村医師がメディアに頻繁に登場するようになり、その時あっと思いました。あの時の先生だ、NHKスペシャルの医師だと鮮明に思い出す事ができました。

私は当時アジアでの医療活動について、いくつかの国内のボランティア団体に問い合わせたり、資料を取り寄せたりしていましたが、今ひとつ芳しくなく、最後にペシャワール会に問い合わせたところ、本当に快く受け入れてくれました。数あるペシャワール会の映像記録の中でも、私はこの「癒しのキャラバン果てしなく」は秀逸な一つで、中村医師、ペシャワール会の活動の原点をよく表現していると思います。PMS病院のゲストクオーター(日本人宿舎)に置いているそのビデオを何度見ても感動したものです。

PMS病院で症例検討会中の仲地医師と現地医師
最初の問題は言葉の壁
ペシャワールに赴任した当初は慣れるのに大変でした。誰でも同じとは思いますが、まず直面するのは言葉の問題です。最初の2、3カ月はなかなか理解できずに困りましたが、いろんな状況が理解できるようになると不思議に相手の言っていることもわかるようになるものです。

結局大切なのは語学能力ではなく、日本でどれだけの仕事ができていたかが最も求められるものなのだと痛感しました。本当につくづく日本でもっと真面目に勉強しておけば良かった、もっといろんな技術を習得しておけば良かったなあと後悔したものです。

また人間はどこでも同じなので必ず理解し合えますが、日本と現地のシステムややり方が違うところがあまりにもたくさんありますので、柔軟に対応しないと自分自身がやっていけないし、現地スタッフとのトラブルになりかねません。現に現地のドクターなどは気位も高く、日本よりも社会的地位は高くしかもかなり博学な医師もたくさんいます。日本とは違って、そう簡単には自分の意見を曲げず、相手にすぐ同意するわけでもありません。そういう中でやっていき、日本流の優れたところを取り入れて行くには、彼らと同じ仕事をし、一緒にやっていくという姿を見せる以外に方法はありません。

現地の医師は実践という点では多少劣る面もありますが、よく医学書を読んでおり、ハリソン内科学書を全部暗記しているのではないかと思えるくらい物知りの医師もたくさんいて、日本とは少し違う彼らの学習スタイルも私にとっては大変参考になりました。

冬季閉鎖直前のラシュト診療所
忘れがたきラシュト
現地で仕事をした中で、思い出深かったことの一つはラシュトの診療所に3度も行ったことです。ペシャワールのPMS病院では現地医師がたくさんいますので、実際的な仕事は彼らがしますが、診療所は1人ですべて判断しなければならないので、大変ですが充実感もあります。
高度3,000メートルの本当に天国の様に美しい場所に滞在できるのも幸せですが、生きていくのに最低限必要なもの以外は一切何もないという過酷な環境で1カ月間暮らしていくというのも貴重な体験でした。

内視鏡検査の指導中の仲地医師(右)と現地スタッフ
日本では経験のない疾
また、PMS病院で経験した疾患は日本では診たことのないものの宝庫でした。熱帯医学だけでなく、発展途上国で共通した、子どもの低栄養に伴う重症の下痢脱水や肺炎などは内科医としては日本ではあまり経験のない私には緊張を強いるものでした。

私が滞在した3年間でほぼ3,000件の上部消化管内視鏡検査がありましたが、これもまた日本と違い、約100例あった悪性疾患の内、3分の2が食道癌でした。残りの胃癌の中でも大部分は噴門付近や胃上部に集中し、日本で見られる早期胃癌や良性のポリープはほとんどありませんでした。いかに地域によって同じ疾患でも形態が違うものかと認識させられたものです。

たくましき日本人ワーカー
私と同じ時期に滞在した日本人ワーカーの方がたくさんいましたが、みなさんほとんどアフガニスタンで仕事しており、本当にたくましいものだと思っていました。すぐに現地にとけ込んでパシュトゥー語もあっという間に上達するのには本当に驚きました。私が居た前半はA型肝炎や発熱、下痢などで入院するワーカーも多かったのですが、後半にはそんなこともほとんどありませんでした。どうかすべてのワーカーの皆さんが無事に任期を終えられることを本当に願っています。
ペシャワール会の皆さま、この3年間本当にありがとうございました。この貴重な3年間の経験を生かして今後も生きていきたいと思います。

* 仲地医師は2005年02月で現地活動を終了しました。