医療事業
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医療事業

医療事業は、1986年、東部山岳部の3診療所を中心として始まりました。

診療所

診療所所在地
1. PMS基地病院»
(パキスタンの北西辺境州/1998年開設 *2009年7月閉鎖・譲渡)
2. ダラエ・ヌール診療所»
(アフガニスタンの東部山岳地帯/1991年開設 *アフガン国内初の診療所。2013年に増築し、現在PMSに残った唯一の診療所)
3. ダラエ・ピーチ診療所»
(1992年開設。のちに沖縄ピースクリニックとして2003年落成。 *2005年1月アフガニスタン政府に譲渡)
4. ダラエ・ワマ診療所»
(アフガニスタン東部/1994年開設 *2005年1月アフガニスタン政府に譲渡)
5. ラシュト診療所»
(パキスタンの北西辺境州/1998年開設 *2008年治安情勢悪化のため診療停止)
6. コーヒスタン診療所
(パキスタンの北西辺境州/1999年開設 *2002年6月1日閉鎖)

現地スタッフ育成について

現地スタッフの医療教育にも重点を置いて実施しています。
イスラム的風習の中で恩恵を受けにくい女性患者の治療にも傾注し、現地の文化・慣習を尊重して、女性ワーカーの育成など、実際的な診療を目指してきました。
※診療数:約43,000人(2016年度)

医療事業の歩み

中村医師の診察風景
1978年

中村哲医師 福岡登高会のティリチ・ミール遠征隊同行医師としてパキスタンに初入国しました。
1982年

4月 パキスタン・ペシャワール・ミッション病院よりJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)に医師の派遣要請がありました。
1983年

4月 JOCSが中村医師の派遣を決定しました。
5月 ペシャワール会発会第一回準備会が開催されました。初代事務局長に佐藤雄二医師(故人・中村医師の大学時代の同級生)が就任しました。
9月 ペシャワール会発会式 記念講演会開催 約300名が参加し、会長に問田直幹氏(故人 当時九州大学名誉教授)が就任しました。
1984年

5月 中村医師がパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院に着任しました。
1986年

4月 中村医師 足底そくてい穿孔せんこう症(うらきず)予防用のサンダルの工房を病棟内に開設しました。アフガン難民への診療を本格的に開始。
1987年

1月 中村医師とアフガン人医療チームハンセン病多発地帯のアフガン難民キャンプ巡回診療を開始しました。
1988年

9月 初めての日本人長期ワーカーとして安部美智子看護師が着任しました。
1989年

1月 JAMS(日本・アフガン医療サービス)発足をアフガニスタンに設立しました。
1990年

9月 藤田千代子看護師が着任(副院長として現在に至る)
12月 パキスタン国内・テメルガール診療所を開設しました。ダラエ・ヌールにアフガニスタン国内初の診療所を開設しました。初代事務局長・佐藤雄二氏が逝去されました。
1991年

拠点としてダラエヌールに最初の診療所を開設し、以来、東部山岳部の3診療所を中心に医療活動を開始。
1992年

1月 村上優医師が2代目事務局長に就任しました。
5月 アフガン難民の爆発的な帰還が始まりました。
12月 ダラエ・ピーチ診療所を開設しました。
1993年

8月 ダラエ・ヌール診療所で悪性マラリアを確認し、「キニーネ」による集中的な巡回投与を決定しました。
11月 中村医師の要請で募金活動を展開しました。翌年1月末までに募金は2,000万円以上、2万人の命を救いました。(残余寄金は「マラリア基金」に)
1994年

4月 ヌーリスタン西部地区のワマ診療所を開設しました。
7月 問田初代会長の後任として、髙松勇雄副会長が会長に就任しました。
10月 ペシャワール・ミッション病院拠点の活動を終了し、
翌11月 にはPLS(ペシャワール・レプロシー・サービス)病院を設立しました。ペシャワール市内で活動を開始しました。
12月 ペシャワール会の現地組織名PREPがパキスタン北西辺境州から社会福祉法人として認可されました。
1995年

4月 パキスタン北部チトラール地方への定期診療の準備・調査を開始しました。
1997年

1月 新病院の用地を買収、建設が着工しました。
4月 ペシャワール会現地事業がパキスタン連邦政府の国際団体PRS (Peshawar-kai Relief Service)として認可されました。
1998年

4月PMS(ペシャワール会医療サービス)病院が完成、
9月 に開設、 パキスタン最北端のラシュトに診療所を開設しました。
1999年

11月 コーヒスタン(パキスタン)に診療所を開設しました。
2000年

5月 JAMSの名称を廃止。
2001年

3月 アフガニスタン首都カーブルに5カ所の臨時診療所を設置しました。
9月11日 米国ニューヨークの世界貿易センタービルに二機の民間航空機が突入しました。
14日 中村医師ほかPMSスタッフが外務省の勧告を受けアフガニスタンより出国しましたが、ペシャワールで活動は継続しています。
10月8日 米英軍がアフガニスタンへの大規模空爆を開始しました。2001年事業報告は、中村医師による"「迫り来る飢餓と無政府状態」"»をご覧ください。
2002年

8月30日 第1回沖縄平和賞を受賞しました。受賞賞金はアフガニスタン東部ダラエピーチ診療所の移設新築費用に充てることに決定しました。2002年事業報告書はこちら»
2003年

「沖縄ピースクリニック」が完成。診療の傍ら、通院できない山岳部の人々のため巡回診療も行われます。
8月31日 中村哲医師がフィリピンのマグサイサイ賞(平和・国際理解部門)を受賞しました。2003年事業報告書はこちら»
2004年

沖縄ピース・クリニックと、ワマ診療所の2つを一時撤退しました。2004年事業報告書はこちら»
2005年

1月 ダラエピーチ診療所(オキナワ・ピース・クリニック)、ワマ診療所をアフガン政府に委譲しました。2診療所を移譲し、用水路工事など医療以外の仕事が増え、医療職の人材流出など悪条件の中、診療は継続します。
7月16日 髙松勇雄会長が退任し、名誉会長に就任しました。後藤哲也医師が会長に就任しました。
10月8日 パキスタン地震が発生しました。
10月12日~14日 PMS病院から地震被災地バタグラム、マンセーラ、バラコートに緊急援助物資を輸送しました。2005年事業報告書はこちら»
2006年

PMS基地病院が、パキスタン政府から事実上の診療所閉鎖要求を受けました。2006年事業報告書はこちら»
2007年

PMS病院を、ぺシャワールからジャララバードへ移転させる計画を開始。2007年事業報告書はこちら»
2008年

戦乱によって診療所が閉鎖へと追い込まれながらも延べ73,000人を診療しました。2008年事業報告書はこちら»
2009年

7月 閉鎖要求(2007年)を受けたPMS基地病院が地元団体に譲渡され(この時の様子は中村医師からの報告"この26年で最大規模の仕上げ作業"»にて掲載)、唯一ダラエヌール診療所のみでの診療を続けます。2009年事業報告書はこちら»
2010年

1月 現地事業体名を、ペシャワール会・医療サービスから、平和医療団・日本へ変更(* 略称はPMSのまま)。
8月 大洪水によりダラエヌール渓谷でコレラ発生し、ダラエヌール診療所が地域の主力として診療しています。
2013年

1月 ダラエヌール診療所を増築しました。
2月 ダラエヌール診療所における女子診療施設の増設で祝賀会を行いました。
2014年

7月17日 中村医師と27年間活動を共にしたサルフラーズ看護師が不慮の事故で逝去しました。
9月 ダラエヌール診療所がナンガラハル州政府から表彰されました。
2015年

2015年事業報告は、会報128号"緑の大地計画の仕上げを前に..."»にて掲載
2016年

2016年事業報告は、会報132号"20年継続体制に向けて日本..."»にて掲載
2017年

2017年事業報告は、会報136号"干ばつと飢餓はやまず無政府..."»にて掲載
2018年

2018年事業報告は、会報140号"植樹100万本達成!和平への..."»にて掲載
2020年

2月 診療所名を“ドクターサーブ中村メモリアルダラエヌールクリニック”に改名。